2020年7月29日水曜日
大学入試数学から見る 正しい数学の理解方法 数Ⅲ 複素数平面編 その5
2020年7月28日火曜日
大学入試数学から見る 正しい数学の理解方法 数Ⅲ 複素数平面編 その4
2020年7月25日土曜日
大学入試数学から見る 正しい数学の理解方法 数Ⅲ 複素数平面編 その3
2020年7月23日木曜日
高校数学をリタイアした人のための数学 第3回 ~定理と公式ってなんだ?~
正三角形は3辺の長さがすべて等しい三角形である。
今,挙げたのは,正三角形の定義である。思い返せば,小学校のころ,コンパスと定規を使って正三角形を描いていただろう。コンパスは,長さをはかりとる道具であり,定規は直線を引く道具だったはずだ。だとすると,正三角形をかくのに,小学生の我々は,3辺の長さだけに注目していたことがわかる。実に素晴らしい定義である。
正三角形の3つの角の大きさはすべて等しい。
今,挙げたのは何だろうか。ちなみに,これが事実であることは,だれも疑うはずがない。最初に正三角形をならう小学生は,正三角形とは辺の長さも角の大きさも同じであることを定規や分度器を使って調べ,真実であることを知るからだ。
では,これは定義だろうか。いや,定義ではない。なぜなら,定義は3辺が等しいという先ほどのものだからだ。では,この正しいとわかっている角の話は…。
勘が良ければ,本章のタイトルに目が行くのかもしれない。要するに,これが『定理』である。
定理とは何かを簡単に言うと,定義や定理から簡単に証明できる事柄のことである。
ここで,いったん数学の言葉を紹介する。
命題 真偽がただ一通りに定まる事柄
真 命題がいつも正しいこと
偽 命題がいつも正しいとは限らないこと
証明 ある命題が真であると明らかにすること
反例 命題が偽だとわかる例
いろいろな言葉を一気に紹介したので,頭が混乱するといけない。2つの例を挙げておこう。
例1 命題 \(x = 0\)
証明
真偽 この命題は真である。
例2 命題
反例
真偽 この命題は偽である。
話は前回に戻る。数学者というオタクたちは何をしているのかという話だったが,要するに,命題を作っては,それが真偽いずれなのかを考え,証明するという作業をしている。上の2つの例のように,数学とは,ありとあらゆることを命題と考え,それを示すことでそのものについて分かったと考える学問なのである。先ほど以来,説明が大事とか,正解よりも理解が大事とか申し上げているのは,この考えが根底にあっての話である。
ところで,証明という言葉が出てから,アレルギー反応を起こしている方はいないだろうか。まずは,ご安心いただきたいが,本章では,証明についてあれこれをするつもりは一切ない。なぜなら,証明もまた,数学が苦手になるきっかけであるからだ。ただ,証明の仕方云々はさておき,証明というのが数学の本質であるという認識だけは持っていていただきたい。そう,この価値観の部分が一番相容れない部分であり,数学を嫌いに,苦手になる根本原因なのだ。
まあ,そうして証明したことというのは,たいていが使えないものであることが多い。先に紹介したフェルマーの最終定理も現代社会にどう役立っているのかを正しく伝えきることは難しい。
しかし,数学世界の中で役立つことというのは数多くある。そうして,定義から簡単に証明ができて,数学の世界でいくらでも役立たせることができるものを定理と呼んで,しょっちゅう使うことにした。要するに定義とは,偉大なる先人が真であることを証明した,よく使われる命題のことである。だからこそ,定理として皆に知ってもらおう,皆に使ってもらおうという気持ちで善意から教えているのだ。
ここまで長々と書いてはみたが,数学が苦手な方にも是非分かってほしいのは,定義とは違うというその一点である。簡単な言葉でまとめよう。
定義 きまり・ルール
定理 法則・便利機能
ということだ。そして,定理はすべて証明が可能であることも忘れないでほしい。ちなみに,たいていの定理は,教科書の中で証明がされているはずである。
定理の類似品として公式というのがある。公式は計算に使える定理 のことである。一般的には,公式内の文字に,数や式を当てはめるだけで答えが出るものを指す。言うまでもないがこれも先人の知恵であり,知っておいて損がないことである。
2020年7月22日水曜日
高校数学をリタイアした人のための数学 第2回 ~定義ってなんだ?~
数学が嫌いになる心理的メカニズムはご理解いただけたことと思う。次に,技術的な話をしよう。つまり,具体的に数学が分からなくなり,数学が嫌いになったきっかけの話だ。
タイトルでネタバレをしているが,要するに,『定義』がすべて悪い,と私は考える。中学校2年生で習うこの言葉は,実は,小学校のうちからさまざまに形を変えて習っていたものであり,算数・数学を本格的に分かるためには,避けては通れない道なのだ。
さて,早速『定義』とは何かを説明していく。
定義 ある概念内容・語義や処理手続をはっきりと定めること。それを述べたもの。
これが意味らしいのだが,要するに,これが『定義』の定義であるわけだ。
定義とは,あるものに意味を持たせ,誰もが同じものを思い浮かべられるように,言葉でつくったきまりのことである。なお,数学者でもない限り,定義は1通りに定める。
こういうのは,例をもって示すのが一番手っ取り早い。
例えば,『三角形』を定義してみよう。
三角形をだれでもわかるように説明してみればよい。まずは,自分なりの答えをかいてみよう。
出来ただろうか。では,一番簡単な定義を述べると
3本の直線で囲まれたできた図形
となる。見覚えがあるなら,かなりの記憶力かもしれない。そう,小学校1年生の算数の教科書に載っている表現である。もっとも,元の文はすべてひらがなであったが。
しかし,素晴らしく簡潔な定義である。我々が考えるべきは,本当に,誰もがこの定義から三角形のあの形を想像できるかどうかである。実際にやってみるとよい。
やればわかるが,3本の直線で囲もうとすると,平行な直線があるとうまくいかない。また,3本の直線がちょうど1点で交わるときもダメである。
すると,3本の直線で囲まれた図形が出来るとき,たしかにその囲まれた図形というのは三角形の形をしている。しっかりと定義されていることが分かった瞬間である。
もっとも,数学者の皆様方は,これでは不十分だとのたまい始める。点・直線・線分などを厳密に定義することでもっときれいな定義を作ろうとするのだ。まあ,こうして作られるそれこそめんどうな定義についてはここでは取り扱わない。これが正しいというものを例えば私が提示したとしても,数学者の皆様にはご納得していただけないかもしれないからだ。
結局定義とは,数学的なめんどうくさいものであることを示しただけに終わったが,ところで,先ほどの三角形,別な定義を考えた方はいないだろうか。例えば,
3つの角を持つ図形
などである。これではダメなのかどうか,という疑問を持つ方もいるだろう。
まずは結論から申し上げる。ダメである。では,なぜダメかという問題が出てくるわけだが,まず根本的に,『定義は偉い人が決めたものだから,そのままの形で覚えなくてはいけないものである』という大原則を知っていただきたい。一般的にはこの時点で,先ほどの定義ではダメであるというのがわかっていただけることであろう。
しかし,気に食わない。数学とかいう理屈をこねくり回す連中が,決まりだから覚える,で納得しているのだろうか。まして,数学を教える側の人間は,普段,途中の考えを~とお説教するクセに,定義だけは覚える,で納得するのか。
その答えは,実にシンプルな結論である。実は,先人数学者たちが議論に議論を重ねて現代に使われる定義があり,それ以外のものは,反論が存在するのだ。
では,3つの角を持つ図形を描いて差し上げよう。
…どうだろうか。何か反論を考えてもらっても結構である。しかし,たいていかたがつく。
そもそも,角とは何だろう。直線と直線が交わった部分ではなかろうか。つまりは,直線が交わるという表現を使わなければ角を表すことができないのである。
上の図はどうだろう。確かに直線が交わる部分はあるのだが,曲線も含まれている。これがズルいと感じるポイントかもしれない。だったら,先ほどの定義を書き換えてみよう。
3つの角を持つ,直線だけで作られた図形
なるほど,これなら正解かもしれないが,ところで,3つの角を持つためには直線は何本必要かを考えると3本でいいわけで,結局,3本の直線が作るのが3つの角を持つ図形ではないか。
要するに,角の条件は気づくと直線の条件に置き換わっているわけである。そして,角だけで定義を作ろうとすると,結局直線の話をしないわけにはいかないので,二度手間になる。だから,直線だけで定義したほうが良い。という結論になるわけだ。
要するに皆さんが好きに作る定義でももしかしたらよいのかもしれないが,現在,『定義』と呼ばれるものは,歴代の偉大なる数学者の知恵が秘められており,とても簡潔でしっかりしているものである可能性が高い。
数学が苦手になるきっかけはこの定義とかいう言葉だったろうが,今から数学を学ぶならば,今後はこの定義にもっと関心を持つとよいだろう。そこには,数学のめんどうくささがいっぱい詰まっていて,そのめんどうくささこそが数学の本質なのだから。
2020年7月21日火曜日
大学入試数学から見る 正しい数学の理解方法 数Ⅲ 複素数平面編 その2
高校数学をリタイアした人のための数学 第1回 ~『答えを出すこと』と『答えがわかること』の違い~
数学というのは,めんどうなものだ,というのが,筆者の主張だが,何よりもめんどうに感じるのは,次のような問題である。
『次の計算をしなさい』
実際の問題のほうは何だってよい。この文章にこそめんどうさが詰め込まれている。
まず,なぜに命令形なのか。小学校の頃は『○○しましょう』だっただろうに。突然,偉そうに命令される。話はこれだけにとどまらない。
こういう問題にちゃんとした途中の計算をかかないと,教師に呼び出されるのだ。答えを写しただの,途中計算書かないから間違えるだの,とお説教を受けてしまう。
実際どうなのかと聞かれれば,正直言おう。中学生・高校生の大半が答えを写して課題を提出してくる。なぜそんなことがわかるのかというと,単純な計算問題を途中過程を書かずに答えを出せるならば,同様の問題を小テストすれば,クラス内でだれよりも早く解き終わり,誰よりも良い正解率を得るはずだからである。
ところが,途中過程を一切書かない中学生は,たいてい,数学が苦手な生徒である。ちなみに,よくしてくる反論の,「別の紙に計算しました」も98%は嘘である。だって,ワークの空いているスペース内で計算できるようになっているのだもの。
ちなみに,なぜ答えを写すのかも教師には見当がついている。できないからだ。できないことをできるようにするための問題なのに,『数学は難しい』という意識だけで,その問題をあきらめて,楽なほうへ楽なほうへと逃げてしまう。
そんな中,それでもなお,本当は数学のことをわかってあげたい,少しは数学の世界を知りたいとこの文章を読み始めた人に向けて筆者は書いている。
結局,『計算をしなさい』という単純な問題文から,数学という奴は,めんどうくさいことをあれやこれやと紡ぎだすことができてしまう。
そこには,一般人には理解できない,数学特有の論理がある。
それは,『答えが出る と 答えがわかる は別物である。』 という暴論だ。
この話をするためには数学の歴史の話をしなくてはいけない。
数学界という魔界には,『それが正しいということはわかるが,なぜかは説明できない』というものがたくさんある。
あれ?と感じていただけたら嬉しいのだが,実は数学者というのは,数学のすべてを知っているわけではなくて,過去の数学者が『正しそうなこと』というのを突然発表し,それに対して,『正しいことが説明できた!』『実は正しくなかった!』という結論を出すために生きている。
フェルマーという偉大な数学者がいた。この男は,愛読書の空白にいろいろな『正しそうなこと』をメモする習慣があり,死後,そのメモをいろいろな数学者が『正しい』『正しくない』と説明することになる。
ところが,次の内容だけは誰も説明できなかった。(もとは文章。それを式に直したもの)
『
自然数\(x,y,z\)の組は存在しない。』
という,これだけの内容である。誰もこれが正しいかどうかを説明できなかったが,多くの数学者が直感的には,正しいのだろうと思い,これが正しいということを説明するために尽力する。
フェルマーが亡くなった1665年から長い長い月日が流れた1995年。ワイルズという数学者が,数度にわたる失敗の末,完成された『正しいことの説明』を発表する。それに対して,世界中の数学者がその説明自体が正しいのかどうかを検討し,皆が,正しいと認めたことで,ようやく解決した,というそんな歴史の話だ。
これは一例に過ぎない。中には,紀元前のころの数学者が定めた決まりについて,それが本当に正しいのかどうかを検討している現代人さえいる。つまり,数学者とは,正しいことを説明したくてしたくてどうしようもない人種なのだ。それを,色々な経験から,心の中に意識として刻まれてしまっているかわいそうな人種なのだ。
さて,数学の教師たちや中学校数学そのものにも,その意識のかけらが含まれている。
これが,小さなことにも途中の考え方を書かせる根拠であり,答えがあっていてもわかっているのかどうかと詰問される理由なのだ。数学者は答えが出ること・正解することに何も価値を感じていないという認識でよいと思う。
では,理解するためには,答えがわかるためには,何が必要かというと,それは,誰もが見て分かるような説明をする能力 であると数学者たちは感じている。
こんな問題を解いてみる。
次の計算をしなさい。
\(6x^2 \div \frac{3}{2}x \) (中学校2年生で習う問題)
申し訳ないが,文字式を一切習っていないなら解けないかもしれない。
ところが,中学校1年生までの知識を正しく理解していれば,この問題に正解することも,この問題を理解することもできる。と,いうわけでまずは,数学が言うところの途中の考えをすべて書いたものをお見せしよう。
いや,うっとうしい。だるい。めんどう。いろいろと罵倒はできるかもしれないし,あるいは,これでもよくわからない。という方もいるかもしれない。さて,では,今の解答に,解説まで付けてみよう。
どうだろう。多くの方が分かった!と思えたのではないだろうか。
要するに,『答えが出ること』と『答えがわかること』の間には,今,ここで示したほどの,段違いの情報があるということである。もちろん,これだけのものが頭の中で処理できている人も少なからずいる。一方で,解答欄に答えだけをかいた全員がその域に達しているのだろうか,やはり疑問が残る。
もちろん,自分が答えを出すときは,このうち必要な情報だけをメモ書きしておけばいいのかもしれない。一方で,どうしたら分かるのかと尋ねられたら,大量の補足を込めて丁寧に途中過程を書き連ねなくてはならないだろう。
と,説明のために途中の考えを書かなくてはならないと思いこんでいるのが,数学教師である。だからこそ,生徒にも同様のことを要求してしまうわけだが,ここで,数学者はオタクであり,変り者であることを思い出そう。そうなのだ。一般的に,分からなくても答えが出ればそれでいいのだ。
長々と書き連ねたが,オチだけ言うならば,『答えが出ること』と『答えがわかること』は確かに違うのかもしれないが,教わる側からすれば答えが出さえすれば,数学から逃れられるのだから,別に分かりたいと思わないし,教える側も教える側で分からせようと押し付けるから,より一層めんどうくさい数学が嫌いになるということだ。
2020年7月19日日曜日
英語の長文を読むには、まず長い一文を、という話。
単元テスト 中1-7 資料の散らばりと代表値
1-7 定期テストや単元テストの予習にでもどうぞ。 入試対策としては簡単すぎるかも。
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