2020年8月1日土曜日

英語文法を学ぶべき時期と意義 ~共通テスト英語筆記で文法問題が出題されない件~

われわれ、センター試験全盛期世代にとっては、寝耳に水かもしれないが、わりと大声で叫ばれているところである。そう、英語入試は大いに変化している。

『英語検定騒動の末路』

聞き及んでいるだろうが、「身の丈に合った」大学を受検するという言葉が、差別的な発言であるとの評価を受け、大臣が共通テスト改革の大半を頓挫させた。英語検定を入試の代わりに用いるというのも、おじゃんとなったわけだが、その結果、受験生は代わり映えのない一発勝負の受験英語を対策することになったわけだ。
「身の丈に合った」が金銭的な話をしていたのであれば、確かに配慮に欠けているものであると感じるが、学力的な話をしていたのであれば、至極まっとうに聞こえる、というのは、極論なのだろうか。まあ、お偉方にとっては、金銭=学力、という図式が成り立っているのだろうし、金持ちが有利になるようにすれば、自分たちが有利になる、という思いは少なからずあるのだとは思うが。
かくして、英語検定は受験には用いられなくなった。

『英語検定導入の理由』

では、「一発勝負の受験英語」とは何ぞやというと、私の文体特有の煽りである。要するに、「永続的に使える実用英語」の対義語として用いている。結局のところ、受験英語ができていたからといって、英会話はできない、というのが読者の皆さんにとっても常識であろうが、さすれば、何のために受験英語をやるのか、という本質的な問だけが残ってしまい、受験英語でしょ?という、帰国子女からのそしりを受けるかもしれないのだ。
では、どうすればいいのか、といえば、入試を英会話にすればいいのであって、それが現実的に困難であるからこそ、統一規格として英語検定を実施しよう、という考えに至ったのだ。
もちろん、既得権益などがそこに働いているのかもしれないが、大義名分としてはほぼ満点のものであり、たとえそこに金の動きがあったとしても、「一発勝負の受験英語」が否定されるべきという点については、大勢の賛同を得られる、はずだった。

『文法についての学習をする必要の有無』

さすれば、文法についての学習は必要なく、英会話をすればいいのであろう、というのが大勢にとってのまとめとなるだろうが、共通テストでは英語文法は問われなくとも、大学個別の試験では問われる可能性がある、という事実をまずは理解しなくてはならない。
また、なぜ、高校に入ったとたん英語文法などを習うのかといえば、語学とは、現在英語で行われている手順で学ぶのが一番賢いからにほかならない。

『日本語教育と英語教育』

日本人が日本語を日本国内でまなぶとき、おおよそは次の順で習う。
家庭学習→学校教育での単純な読み・書き→日本語文法→小説・評論の読み・書き
おおよそ間違いないはずだ。家庭学習が充実できない場合であっても、小学校に入ってから自分の名前を話せるようになるケースというのは少数派であることは疑いがなかろう。
その後、ひらがな・カタカナ・漢字と文字を増やしていき、小学校高学年になると同時に、日本語の助詞・助動詞を正しく使うことを強いられ、体言・用言などという分類や自立語・付属語などという分類を続けることで、日本語を細分化して理解することを可能にする。
そこまで学んでから、長い文章を読んでいき、その中の一文一文を、緻密に読解していくことにより、長い文章を読解することができるのだ。
さて、この学習方法・学習手順に既視感はないだろうか。
言うまでもないが、日本人が英語を日本国内で学ぶとき、同様の手順で学ぶことになっているのだ。
少なくとも、日本語教育についての手順が疑問視されない限り、英語教育のみを変えることには一貫性がなくなるのだ。

『文法を学ぶべき時期と意義』

結果として、我々は英語を理解するために英語文法を学ぶしかない。「いやいや、単語が分かれば十分ですよ」などとのたまう輩には、

Please check whether the phrase is grammatically correct.


という文を送ったうえで、この文を和訳させてみようと思う。意味が通じるかどうかではなく、「正しい訳かどうか」という点が論点だが、その違いは、今度の話題にしよう。

単元テスト 中1-7 資料の散らばりと代表値

1-7 定期テストや単元テストの予習にでもどうぞ。 入試対策としては簡単すぎるかも。