2020年7月21日火曜日

高校数学をリタイアした人のための数学 第1回 ~『答えを出すこと』と『答えがわかること』の違い~

 数学というのは,めんどうなものだ,というのが,筆者の主張だが,何よりもめんどうに感じるのは,次のような問題である。

『次の計算をしなさい』

実際の問題のほうは何だってよい。この文章にこそめんどうさが詰め込まれている。

まず,なぜに命令形なのか。小学校の頃は『○○しましょう』だっただろうに。突然,偉そうに命令される。話はこれだけにとどまらない。

こういう問題にちゃんとした途中の計算をかかないと,教師に呼び出されるのだ。答えを写しただの,途中計算書かないから間違えるだの,とお説教を受けてしまう。 

実際どうなのかと聞かれれば,正直言おう。中学生・高校生の大半が答えを写して課題を提出してくる。なぜそんなことがわかるのかというと,単純な計算問題を途中過程を書かずに答えを出せるならば,同様の問題を小テストすれば,クラス内でだれよりも早く解き終わり,誰よりも良い正解率を得るはずだからである。

ところが,途中過程を一切書かない中学生は,たいてい,数学が苦手な生徒である。ちなみに,よくしてくる反論の,「別の紙に計算しました」も98%は嘘である。だって,ワークの空いているスペース内で計算できるようになっているのだもの。

ちなみに,なぜ答えを写すのかも教師には見当がついている。できないからだ。できないことをできるようにするための問題なのに,『数学は難しい』という意識だけで,その問題をあきらめて,楽なほうへ楽なほうへと逃げてしまう。

そんな中,それでもなお,本当は数学のことをわかってあげたい,少しは数学の世界を知りたいとこの文章を読み始めた人に向けて筆者は書いている。

結局,『計算をしなさい』という単純な問題文から,数学という奴は,めんどうくさいことをあれやこれやと紡ぎだすことができてしまう。

そこには,一般人には理解できない,数学特有の論理がある。

それは,『答えが出る と 答えがわかる  は別物である。』 という暴論だ。

この話をするためには数学の歴史の話をしなくてはいけない。

数学界という魔界には,『それが正しいということはわかるが,なぜかは説明できない』というものがたくさんある。

あれ?と感じていただけたら嬉しいのだが,実は数学者というのは,数学のすべてを知っているわけではなくて,過去の数学者が『正しそうなこと』というのを突然発表し,それに対して,『正しいことが説明できた!』『実は正しくなかった!』という結論を出すために生きている。

フェルマーという偉大な数学者がいた。この男は,愛読書の空白にいろいろな『正しそうなこと』をメモする習慣があり,死後,そのメモをいろいろな数学者が『正しい』『正しくない』と説明することになる。

ところが,次の内容だけは誰も説明できなかった。(もとは文章。それを式に直したもの) 

 \(3\) 以上の自然数 \(n\) について,

\(x^n+y^n=z^n\) となる

自然数\(x,y,z\)の組は存在しない。』

という,これだけの内容である。誰もこれが正しいかどうかを説明できなかったが,多くの数学者が直感的には,正しいのだろうと思い,これが正しいということを説明するために尽力する。

フェルマーが亡くなった1665年から長い長い月日が流れた1995年。ワイルズという数学者が,数度にわたる失敗の末,完成された『正しいことの説明』を発表する。それに対して,世界中の数学者がその説明自体が正しいのかどうかを検討し,皆が,正しいと認めたことで,ようやく解決した,というそんな歴史の話だ。

これは一例に過ぎない。中には,紀元前のころの数学者が定めた決まりについて,それが本当に正しいのかどうかを検討している現代人さえいる。つまり,数学者とは,正しいことを説明したくてしたくてどうしようもない人種なのだ。それを,色々な経験から,心の中に意識として刻まれてしまっているかわいそうな人種なのだ。

 

さて,数学の教師たちや中学校数学そのものにも,その意識のかけらが含まれている。

これが,小さなことにも途中の考え方を書かせる根拠であり,答えがあっていてもわかっているのかどうかと詰問される理由なのだ。数学者は答えが出ること・正解することに何も価値を感じていないという認識でよいと思う。

では,理解するためには,答えがわかるためには,何が必要かというと,それは,誰もが見て分かるような説明をする能力 であると数学者たちは感じている。

こんな問題を解いてみる。

次の計算をしなさい。

\(6x^2 \div \frac{3}{2}x \)  (中学校2年生で習う問題)

申し訳ないが,文字式を一切習っていないなら解けないかもしれない。

ところが,中学校1年生までの知識を正しく理解していれば,この問題に正解することも,この問題を理解することもできる。と,いうわけでまずは,数学が言うところの途中の考えをすべて書いたものをお見せしよう。

いや,うっとうしい。だるい。めんどう。いろいろと罵倒はできるかもしれないし,あるいは,これでもよくわからない。という方もいるかもしれない。さて,では,今の解答に,解説まで付けてみよう。

どうだろう。多くの方が分かった!と思えたのではないだろうか。

要するに,『答えが出ること』と『答えがわかること』の間には,今,ここで示したほどの,段違いの情報があるということである。もちろん,これだけのものが頭の中で処理できている人も少なからずいる。一方で,解答欄に答えだけをかいた全員がその域に達しているのだろうか,やはり疑問が残る。

もちろん,自分が答えを出すときは,このうち必要な情報だけをメモ書きしておけばいいのかもしれない。一方で,どうしたら分かるのかと尋ねられたら,大量の補足を込めて丁寧に途中過程を書き連ねなくてはならないだろう。

と,説明のために途中の考えを書かなくてはならないと思いこんでいるのが,数学教師である。だからこそ,生徒にも同様のことを要求してしまうわけだが,ここで,数学者はオタクであり,変り者であることを思い出そう。そうなのだ。一般的に,分からなくても答えが出ればそれでいいのだ。

長々と書き連ねたが,オチだけ言うならば,『答えが出ること』と『答えがわかること』は確かに違うのかもしれないが,教わる側からすれば答えが出さえすれば,数学から逃れられるのだから,別に分かりたいと思わないし,教える側も教える側で分からせようと押し付けるから,より一層めんどうくさい数学が嫌いになるということだ。


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